推古天皇(七世紀初め)以前の上代では、宗教が大きな意味をもち、盟神探湯が行われていました。
裁判で審理の決しにくいとき、手で熱湯を探らせて、「正しい者はただれず、よこしまな者はただれる」と、火傷のぐあいで罪を決定したのです。
大化の改新以後、律令体制が成立し、成文法による裁判が行われるようになりました。
また、鎌倉幕府のもとでは、土地関係訴訟の裁判が日本法制史上他に比類をみないほど発達した。
江戸時代には、奉行所、代官役所が同時に裁判所としての機能をはたし、民事・刑事の区別は、裁判手続きによってたてられていました。